
こんにちは、不動産投資家のMASA(@2103ou_masuke)です。
今回はすごく深い人生についての哲学的な話をしていきます。
人生のふとした瞬間に、「何のために生きているのかわからない」「自分が生きていても何の意味もない」という想いに襲われ、自分の人生に虚しさを感じるような体験をしたことはありませんか?
生きるとは何か?なぜ生まれてきたのか?どう生きるべきか?など考えたことはありませんか?
僕は最初の会社を一年で辞めた24歳の時、失業保険をもらいながら何もしない日々を送っていた時に感じました。
今思えばあの時が一番ヤバかったなと・・
おそらく生きる意味については、誰もが一度は考えたことがあるのではないかと思います。
それは「君たちはどう生きるか」という本が、ベストセラーになったことからも分かります。
そこで、「生きるとはなにか」「どう生きるべきか」「自分の価値」について解説していきたいと思います。
何が正解というわけではないと思いますので、この記事をきっかけに、自分の人生について深く考え、自分なりの答えをみつけていただけたら幸いです。
コンテンツ
人はそれぞれ生まれてきた意味と役割がある【君たちはどう生きるか】
人はこの世に生まれてきた以上、それぞれ役割があると思っています。
そしてその役割とは、自分が最も得意としていること好きなことを思う存分やることです。
例えばプロスポーツ選手は、自分の役割を見事に果たしている分かりやすい例です。
プロスポーツ選手なんか誰でもなれるわけではないですし、自分の得意な才能を最大限発揮して、人に感動や勇気を与えているわけです。
誰にだって一つは、好きなことや得意なことがあるはずです。
僕は人に教えることが好きで、人前で話すことや説明することが得意なので、自分がやってきたことをできるだけ多くの人に伝え、より豊かな生活が送れるための手助けをすることが役割だと思っています。
だからこのブログもやっているんですよね。
でもこれって凄いことなんですよ!
例えば僕がAさんにいろいろ教えて、Aさんを幸せにしたとします。
そのAさんが職場で周りの人たちに、僕から教わったことを教えたり、教えなくても幸せそうにしているAさんを見ている周りの人たちに好影響を与えます。
さらにはAさんは、お客様にも喜ばれるような仕事をするでしょうし、家に帰ればやりがいを持って楽しそうに仕事をしているAさんを見て、家族は幸せになるでしょう。
このように人に影響を与えることって先をたどれば限りがないんです。
誰にでも好きなことや得意なことは必ずあります。
それに早く気付いて、好きなこと得意なことを思う存分人生の中で発揮していくことです。
そしてそれは本人だけでなく、周りの人たちも幸せにできる魔法のパワーを持っているのです。
名声より、財より、人を残せ
僕は名声を残すよりも、財を残すよりも、人を残すことが最も価値のあることだと思っています。
またそれができる人を尊敬しています。
名声や財を残しても死んだら終わりですが、人を残せば後世にわたって良い影響を与え続けることができます。
そう考えて、僕もそうなりたいと考えて、このブログや情報発信をしています。
自分が死んだ後のことを考えてみた時、財産を残しておくことに、どれだけ価値があるでしょうか。
僕は生涯を終える時、財産を残しておくつもりはまったくありません。
財産は自分で築くものであって、人から与えられて良いことはないので、自分の子や孫に財産を残すこともないでしょう。
財を残すより、人を残す方がよっぽど価値があります。
素晴らしい会社を作って財産を築けたとしても、後を継げる者がいなければ、死んでしまったらそれで終わりです。
財産を築かなくとも、優秀な継承してくれる人を残せば、死んだ後もその会社は存続し、世の中に貢献し続けるわけです。
その人の信念が生き続けると言ってもいいでしょう。
そしてまた継いだ者が素晴らしい人を残せば・・それは永遠に継がれるわけです。
もちろん財を残し、それをうまく使って自分の信念、意思を語り継ぐこともできます。
ダイナマイトの発明でおなじみのアルフレッド・ノーベルは、
私のすべての換金可能な財は、次の方法で処理されなくてはならない。私の遺言執行者が安全な有価証券に投資し継続される基金を設立し、その毎年の利子について、前年に人類のために最大たる貢献をした人々に分配されるものとする
と遺言を残し、ノーベル賞を作りました。
これは、財産を使って偉大な人を残していく良い例だと思います。
お金は持っているだけでは価値がありません。
お金はどう使うかによってその価値が決まるものだということです。
自分の価値の最大化【最終的には教えることに辿り着く】
この価値の最大化という考え方は、僕の人生の指針とも言えるべきもので、自分の価値を人生の中で最大化していくことが僕のテーマとなっています。
突然ですが問題です。
①お金を与えてくれるなら、それを使うことができるが、お金を増やす方法を教えてくれたなら、それを使い続けることができる。
②英雄は多くの相手を倒すことができるが、英雄が多くの相手を倒す方法を他の人たちに教えたなら、もっと多くの相手を倒すことができる。
この2つの名言の共通点は何でしょうか?
答えは、どちらとも教育が必要だということです。
だから僕は教育が重要であり、各人の人生の最大化を図るならば、誰もが最終的に辿り着くところは教育の分野になるはずだと考えています。
これまたスポーツ選手で考えるとわかりやすいのですが、スポーツ選手は引退すると指導者になる人が多いですよね。
あるスーパースターが引退し、その人がもし指導者にならなかったら、その人の技術や考え方、トレーニング方法といったものは後世に伝わることはありません。
しかし、指導者になって教育をすることで、同じようなスーパースターを輩出し、より多くの人を楽しませることができるわけです。
これが教育の力であり、その人の価値の最大化なのです。
自分の得意なもので、その価値を最大化し、世の中により大きな影響を与えていく。
これこそが、人生の醍醐味ではないでしょうか。
自分の価値は「人が求める数」で決まる

価値は何で決まるのでしょうか?
ハイクオリティな商品でしょうか?それとも金額が高いものでしょうか??
どちらも違います。
価値は「人が求める数」で決まります。
スポーツ選手は活躍すればするほど、人に感動と興奮、勇気を与え、その選手が出ている試合をテレビや会場で見たいと求めるようになります。
歌手は、良い歌を作って世に出せば出すほどその歌手を好きになり、新曲が出るたびに手に入れたり、コンサートがあれば見に行きたいと求めるようになります。
商品でも同じです。
携帯電話ではiPhoneが人気ですが、多くの人がiPhoneを求めているから価値があるのです。
この世の中には、とてもクオリティが高いにも関わらず、世に知られる術がないために埋もれてしまっている人や商品がたくさんあります。
どれだけクオリティが高くても、良いものを使っていたとしても、人が求めなければ価値はないに等しいのです。
どれだけ美味しいものを作っても、それを多くの人が口にし、多くの人がその料理を求めるようにならなければ、その料理の価値は眠ったままです。
実は、クオリティの高いものを作ることよりも、それを広めることの方が難しく、逆にクオリティが高くなくても、広めることに成功して価値が高いものもたくさんあります。
人が求めるのは、その人に何かしらの影響を与えているからです。
そう考えると、より多くの人により多くの影響を与えることのできる人になる必要があります。
ポイント
価値の最大化=より多くの影響力+より多くの人に伝える
人は忘れられた時に本当の意味で死を迎える
では視点を変えてみましょう。
人はいつ死ぬと思いますか?
心臓をピストルで打ち抜かれた時?
不治の病に冒された時?
死にたいと思った時?
違います。
人に忘れられた時です。
例えば、この世に知っている人が一人もいないとします。
たとえその人が死んだとしても、その死んだという事実はこの世にすでになくなっています。
それは、その人が死んだということを知っている人が一人もいない状態だからです。
そう考えると、死ぬ時に、より多くの人に心から悲しんでもらえるような人間になることができれば、自分の価値の最大化ができたと言えるでしょう。
人生の中で価値観は変わる
人生の中で価値観は変わっていくという話もしておきたいと思います。
自分が何に喜びを感じるのかは人生の中で変わっていきます。
人間は生まれてすぐは自分でできることが何もないため、「与えてもらうこと」に喜びを感じます。
何か欲求があると泣いてアピールし、与えられると泣き止みますよね。
そして自分で歩いたり、日常動作ができるようになると、できることがどんどん増えていくため、「できること」に喜びを感じるようになり、人にやってもらうことが嫌になります。
イヤイヤ期と呼ばれるものや思春期などは、この期間と言えるでしょう。
社会人になり、お客様に喜んでもらえる機会が増えたり、人に教えたりするような立場になると、「与えること」に喜びを感じるようになります。
あなたの人生を振り返ってみて、このような価値観の変化を感じませんか?
これは日常生活しているだけでは、なかなか気付くことではありませんが、ふと今自分は何をしているときに喜びを感じるだろうかと考えた時に気付くものです。
もし、まだ与えることに喜びを感じることができない自分がいるのであれば、それはまだ自分自身にできないことが多く、人に与えることができるステージまで達していないということでもあります。
僕の個人的な感覚では、25~30歳までには、「与えること」に喜びを感じるステージまで達していたほうが良いでしょう。
生きるとはなにか
「与えること」の喜びは、歳を取れば取るほど大きくなっていきます。
その例として、とても感動した出来事を紹介します。
それは山口県周防大島町で行方不明となっていた2歳男児を見つけた、スーパーボランティア尾畠春夫さんの話です。
純粋になんて凄い人なんだと思いました。
尾畠さんは、夢でよしきちゃんを見つけたことをきっかけに、行ったら見つけることができるのではないかと、その朝すぐ現地に出発。
その行動力が凄いのはもちろんのこと、夢に出るということは、そのことを真剣に考えていたからです。
尾畠さんは現場から遠く離れた大分に住んでいて、しかもよしきちゃんとはまったく関係のない人にも関わらずです。
他にも、ボランティアをしているときは、絶対に被災者から何ももらわない、被災者に余計な話はしない、被災者に安心してもらうよう目立つ服で名前を大きく書く、など多くの素晴らしい行動があります。
その中でも僕の心に深く刻まれた言葉があります。
「ボランティアさせていただいている」という立場を忘れてはいけない。
僕は、人が最も幸せを感じることができる瞬間とは、人から必要とされたり人から感謝されたり人から尊敬された時なのだと思います。
僕たちは「誰かにとって必要とされること」「大切な存在であること」、つまり「他者」とのつながりのなかでこそ、はじめて「自分の大切さ(幸せ)」が実感できるのではないでしょうか。
そして誰もがその幸せを感じるために生きているのだと思います。
それはやろうと思えば簡単にできるのだということを、尾畠さんは教えてくれたような気がします。
少し前まで僕自身幸せを感じるためには、より多くの力やお金が必要だと考えていました。
この瞬間をより多く味わうために努力を重ねてきましたが、今回尾畠さんに教えてもらったことはまったく逆のことでした。
生きている実感(幸せ)を味わうためには、力も金も必要ない、助けを求めている人に対して、自分ができることをやることだと。
僕の中で尾畠さんは、今最も会いたい方です。
「魂の生き方」という本も出版していますので、ぜひ読んでみてください。
最後に、尾畠さんが座右の銘にしている言葉を紹介したいと思います。
「かけた情けは水に流せ。受けた恩は石に刻め」
まとめ
いかがでしたか?
なぜ人は生きているのか。
僕たちはどう生きるべきか。
やはり僕たちは幸せを感じるために生きていて、自分の価値を最大化する目的を持っているのだと思います。
人生は一度しかありません。
もしかしたら明日死んでしまうかもしれません。
明日余命を宣告されても、後悔のない生き方ができていますか?
人生は一度ですので、僕はできる限り世の中のことをすべて見たい知りたいと思っています。
だから海外にも住みましたし、日本一周もしました。
何も考えずになんとなく生きるのはもったいないことです。
何もせずに死ぬのも、もったいないことです。
大きな夢や目的を持って、常に全力で生きる。
そうした人生であれば、死ぬときに後悔があったとしても、清々しい気持ちになれるのではないかと思います。